時間が経てば経つほど実写銀魂に沖&神共闘の改変があったことがつらい。神楽ちゃんは隊士を殺してしまったのだろうか

はじめに、わたしはカップリングとしての沖神を推してはいない。

原作上のふたりの絶妙な関係性は好きだが、恋愛に発展してほしいとは思っていない。

 

なのでカップリングとして沖神が好きな方には偏った意見に見えるかもしれないことをご容赦いただきたい。

 

実のところわたしは「原作にはない沖神要素」をぶっ込まれることを、実写1の公開前からすでに覚悟していた。

 

実写版 進撃の巨人でミカサがエレンと長谷川博己さんと三角関係になったり、実写版テルマエロマエ2でルシウスと真実がラブロマンスに身を投じていたりしたせいだ。

(※8/28 進撃の巨人に出演された俳優さんをディーンフジオカさんと勘違いしておりました。ご指摘を受け長谷川博己さんと修正いたしました。失礼いたしました。)

 

とにかく実写映画というのは恋愛要素を入れなければ気が済まないのだろうという先入観がそこで生まれた。

 

なので、わたしが新神と近妙というファンのなかでは少数派なカップリングを推していることを知っているリア友に公開前から

「実写で銀妙と沖神の要素が入れられることは覚悟してるんだ…」

と話していた。

 

友達は「え? 銀魂でそれはないしょ! 銀魂はそういう話じゃないでしょ!」とフォローを入れてくれていた。

 

実写1のときは予告篇を見て、紅桜篇の新八の名シーン「次は左手をもらう!」が沖田にすり替わっているのではないかという危惧もあったため、

わたしはそこそこ情緒不安定になっており友達のフォローにも「だって人気カプだもん…映画は恋愛要素を入れないとウケが悪いみたいだし…」とジメジメした返事をしていた。

 

結果、実写1では危惧していたような恋愛面の改変はなく、「次は左手をもらう!」もなぜか口調が「いただく」に変わってはいたが新八がちゃんとやってくれていたので安堵した。

 

(別のところでそこは変えないでくれよという場面は多数あったが、今回の主題には関係しないため言及しないでおく)

 

そういうわけで実写2の予告篇で神楽ちゃんと沖田の共闘シーンが流れたり、映画公式アカウントが橋本環奈さんと吉沢亮さんのツーショットを猛プッシュし始めたり、映画ポスターや関連グッズで神楽ちゃんと沖田が隣同士に配置されたりしているのを見て思ったことはこれだった。

 

「ついに来たか。一度は覚悟したことが遅れて来ただけだ」

 

実写2を実際に見たときも、あの共闘シーンは冷静に「アクションかっこいいなあ」とも思ったくらいだ。

絡み方が恋愛(×)ではなくコンビ(+)っぽい感じだったので嫌いではなかった。

 

とはいえなんでよりによってそこに改変要素を入れるんだ、と思ったのも事実で、

8/18にアップした実写銀魂 所感の記事では以下のように述べた。

 

> あと予告の段階ですでにそこに改変ぶっこむんかい、と思っていた神楽ちゃんと沖田の共闘シーン。

> とりあえずちゃんと映画を通しで見るまでは文句を言わないでおこうと黙っていたけど、実際に観たら本当になんの脈絡もなくぶっこまれていて半笑い。

 

> せめて実写1のときにちゃんとサド丸と定春28号のくだりをカットせずに入れてくれていたらもうちょっと話の流れのぎこちなさが減ったのに。

 

> それまで逆に不自然なくらい映画のなかで会話のなかった2人がいきなり一緒に戦いはじめるから「なんじゃこりゃ?」ときょとんとした。

 

> そもそも私は動乱篇における沖田の見所は近藤さんへの思い、真選組への思い、剣士としての誇りなどだと思っている。

> なので改変してまで沖VS神のやり合いを楽しむ話じゃないでしょ、という考え。

 

> ついでに言えば加勢に来た神楽ちゃんの姿を見た沖田が、ホッとしたように体の力を抜く、というシーンがあったのがめちゃくちゃ解釈違いだ。

> 沖田はあんなに簡単に「自分戦いまくってしんどいっす!ピンチのときに味方の顔見てホッとしちゃったっす!」っていう姿をさらけ出すキャラではないと思う。

 

これが鑑賞直後の率直な気持ちだった。

だが時間が経った今、改変によるもっと重大な損失に気づいてしまった。

 

あの共闘シーン、原作を知らないひとには神楽ちゃんが隊士を殺してしまったように見えるのではないか。

 

これに気づいてから不安でしかたない。

 

粛清のシーンは真選組一番隊隊長である沖田総悟がたったひとりでやり遂げるからこそ意味のあるシーンで、神楽ちゃんの手を借りては台無しになる、という指摘はすでに複数の方がされているし、わたしもその通りだと思う。

 

だけどそれだけではなく、あの実写の神楽ちゃんはもしかしたら人を殺してしまったのだろうか。

分からない。あまりにも動きの速いアクションシーンだったし、断定はできない。でも映画だけを見たら神楽ちゃんは隊士をあやめたと受け取るひともいておかしくない演出だったと思う。

 

銀魂」の神楽ちゃんは。

万事屋の神楽ちゃんは、夜兎の血に負けて人を殺しはしないと、その手をけっして汚さないと決意して地球に残った。

そうして、「かぶき町の子ども」になった、優しいやさしい女の子だ。

 

彼女と志村新八のふたりが「ひとを殺していないこと」は銀魂における重要なポイントになっていると思う。

 

銀さんたちの世代までは時代の流れでやむを得ず人の命をたくさん奪ってきた世代だ。

そして銀魂はそこから次の世代への「継承」も描いている話だと思う。

 

次の世代にあたる新八と神楽ちゃんには、戦いに身を投じざるを得ないとしても人の命を直接的に奪ってはほしくないのだろうという想いを、わたしは作品から感じている。

 

新八は似蔵や阿伏兎、尾美一、虚相手など、ここぞという場面で剣を向けるときは必ず急所ではなく腕を攻撃するよう描かれているし、

神楽ちゃんが夜兎の血にのまれて阿伏兎を殺しかけたときには新八が命がけで制止したという事実がある。

 

つい最近、単行本74巻に収録されたばかりの669訓でも、みんなで虚を取り囲んでとどめの一撃を加えるシーンで、新八と神楽ちゃんだけは虚の胴体ではなく腕を攻撃している。

 

夜兎の血で戦うのではなく、血と戦いたい。

人を傷つけるのではなく、人を護りたい。

それは神楽ちゃんの一貫した行動原理である。

 

その神楽ちゃんが実写のあの共闘シーンでひとを殺したかもしれない、ないしは殺したと誤解されたかもしれないと思うと、苦しい。

苦しくて苦しくてどうしたらいいか分からない。

 

そしてやっぱり原作の沖田なら神楽ちゃんに人殺しの加担はさせなかったと思う。

 

わたしはこのことに思い至ってから原作の六角篇を読み返した。

そこで沖田が神楽ちゃんにこう語るシーンがある。

「ガキにゃわかるめーよ てめェの手汚しても 護らなきゃいけねーモンってのが世の中にはあんだ」

「汚れちまった目ん玉だからこそ見える 汚しちゃならねェモンってのがあんだよ」

 

このセリフに集約されている通り、神楽ちゃんが「手を汚さない」決意と覚悟でかぶき町に残ったひとであるのに対して

沖田総悟、ひいては真選組は「手を汚す」覚悟と決意で上京して侍になったひとたちだ。

 

そんな本人の言う通り「人を殺して生きてる」、天才的な剣豪である沖田には神楽ちゃんがその並大抵ではない戦闘能力にも関わらず人を殺したことがないのは分かっていると思う。

 

六角篇の沖田の態度には歳下の女の子相手に突っ張りたい18歳の男の子らしさも感じるし、

霧江だけではなく神楽ちゃんに対してもどこか「お前はそのまま汚れてくれるな」と考えているようにも見える。

 

そんな沖田が、隊士の粛清という「真選組の仕事」……「自分の手を汚してやり遂げなければならない仕事」に、神楽ちゃんの加勢をゆるすはずがないのではないか?

 

六角篇は真選組動乱篇よりも100話以上も後の話で、これを持ち出すのはずるいかも知れないが、

沖田には「自分は汚れている」「歪んでいる」といったナイーブなコンプレックスがあり、しかしだからこそ「そんな自分にしかできない汚れ仕事もある」と自負してもいることはミツバ篇や動乱篇からもうかがえると思う。

 

そういう沖田なりの哲学が実写からは感じられず、ただ美貌と剣の才能を暴力的に振りかざす男になってしまっていたことが無念だ。

 

何よりも、神楽ちゃんはなんのために手を汚したのかを考えると悔しい。

なんのためにって…それが監督いわく「嫁に沖神シーンを入れろと言われた」がために神楽ちゃんは…神楽ちゃんは手を…。

 

わたしの大好きな女の子が、その眩しい笑顔をずっとまもりたいという気持ちにさせる女の子でありながら、その強さに憧れるヒーローでもある女の子のだいじなだいじな手が…。

 

実写がきっかけになって原作の銀魂に新規のファンが増えてくれたらいいとわたしは思っている。

けれども、実写を見て「動乱篇のときに神楽ちゃんが手を汚した」というバイアスがかかった状態で原作を読んでも、大事なところが伝わらないかも知れない。

 

すごく虚しい気持ちになってしまって、今はどうしたらいいのか分からない。ただひたすらに苦しい。

実写の神楽ちゃんが殺していないって信じたい。殺しているようには見えないって信じたい。くるしい。

 

でもひとつ感謝することがある。

わたしはふだん万事屋のことばかり考えている人間なので、実写というきっかけがなければ真選組のことをこんなにじっくり考える機会はなかったかもしれない。

ファン歴12年にしてキャラに関して新たな気づきも得られた。

より原作を大好きになったから、そこは実写に感謝している。

 

 

余談

ネガティブ全開な記事になってしまったので最後に余談。

六角篇の「塩をなめきった ふやけてもうハッピーでもなんでもない アンハッピーターンをくれてやろう」という神楽ちゃんのセリフ。

あれを読むたび、小学生のときに友達がポッキーのチョコレートの部分を全部なめきって袋のなかに戻し、

友達のお兄ちゃんがそれを「うわ珍しい!ポッキーのなかに一本だけプリッツ入ってる!」と食べてしまったあとに

友達の所業がばれてお兄ちゃんにボコボコにされたという話を思い出してしぬほど笑ってしまう。

神威くんと神楽ちゃんもそんなきょうだいゲンカをやってそうである。